パンプキンシザーズ
Pumpkin Scissors(1) (KCデラックス 月刊少年マガジン)
- 作者: 岩永亮太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/06/17
- メディア: コミック
- 購入: 2人 クリック: 88回
- この商品を含むブログ (150件) を見る
話の主題は帝国陸軍情報部。戦争後の傷がいえない帝国で、戦災復興を掲げる部隊、情報部第3課。彼らが共和国との戦争後『停戦』となった帝国で奔走する物語を描いている。
今回感想を語っていく中で極力キャラクターの名前や人物の多くを語らないという方法で書いていこうかと思います。そしてストーリー説明もかなり省きます。理由としては見てほしいから。どうして彼らがこういう心境になるのか、そしてそういった場面が出てくるのかを。
この作品について話す上で前提となるのが彼らが『情報部』で復興を掲げる組織だということ。彼らは活動をしていく中でいやがおうでも組織や世情に影響を受ける立場です。そして彼らは情報を扱う部署に所属する以上、それの重さに翻弄されます。最初情報部であることがよくわからないということがありましたが、しだいにある種納得させられます。
次からの場面は回想と現在が混じってます。時系列順です。
いわゆる停戦状態を描くこの作品には人を殺すシーンがたくさん出てきます。今でこそというかフィクションの世界において人が死ぬことなんて『よくあること』ですが、まともにそういったことに向き合う作品少ないんじゃないかと思います。ある種向き合うことに対するタブー性や背徳感がどちらにもあるように思えます。
主人公の仲間や平和のためへの不殺への渇望を望むことは良いものとして推奨される一方、残虐性に対する見解を表現することは存外難しい気がします。この後たとえ話を通じて考えを聞かせるんですが、概ね殺人への否定が描かれています。
場面が変わり、
別の人間はその考えに対して疑問符を浮かべます。殺人が目的ではなく、結果に対する『過程の一部』だと考える人にとっての意義が損なわれると。『敵』を倒すための殺害が人の思考や感情、主張の有意性を損なわせるというのなら人ではない何かとして自分の立場を主張しなければいけなくなる。『修羅』『幽霊』『魔人』『獣』『機械』『悪魔』
言い方はたくさんあるけれど、名称を変えて『殺人者』を形容しなければ、目的を果たせなくなる。
だけれどもいっそ身体的に完全に人間であるのならば(化物に変われる力があったとしても)、その過程を通ることで当然自己否定が始まる。
一つ前提としてこの作品には『化物』はいません。故にいっそというべきものがあります。
これらの場面のつなぎを意図的に省略してあります。自分で読み返していてこういった説明で紹介してるのに身震いしました。
簡単に言いますと省略してる部分キャラクターの苦悩の根幹の一部が描かれているからです。個人的にこのことがじわじわとする部分だと思ったからです。
一つ物語の中ほどの話に関することで書いてみましたが、読み返して気づくことはやはり多いように思えます。キャラクターの相関図が更新されましたし、場面(編)の切り替わりとそれに伴うキャラクターの動向が俯瞰的に見えるようになりました。おおよそ未読の人にとって読みにくく、内容すら入ってこないような内容ですが、読んだことがある人にとってあれ(そして別のあのたとえ)は彼(彼女)にとってどうだったんだろうと思い返したくなるんじゃないでしょうか。
自分がこの漫画が好きな理由は5つあります。
まず第一にストーリーやキャラクターが魅力的なこと。
二つ目に思惑が交差すること。
三つ目に抽象的であること。
四つ目に名前のないキャラクターがいきること。
五つ目に葛藤が描かれること。
たぶん簡単に要約すると
好きなところはそういうところだと思います。逆にそういった作品に横たわる重さが苦手に思われる方もいらっしゃるかと思います。個人的には面白要素結構あると感じているんですが。
ともあれ第一回にしては少し重めの内容なんですが、どうでしょう。次回はもっとライトに行こうかとも思いますが、自分のことですからまたこういう書き方になるんでしょう。
ともあれ今回はここまでで。気になった方が読むきっかけになれば幸いです。
引用元
パンプキン・シザーズ 既刊20巻 関連作品漫画
パンプキン・シザーズ パワー・スニップス 既刊1巻
1巻カバー表紙
11巻p69 p126 p127
12巻p41 p42 p43
追記
前半と後半で分けるとするならば私は1巻-12巻と13巻-からだと思ってます。